いけずのいけす

すっきり整った暮らしを夢想するアラサーゆるゆるオフィスレディです。

今年買ってよかったもの

ブログの更新というのは、一度サボり出すと止まらない。
前回更新したのが8月で、今は気づけば年の瀬も年の瀬、12月30日だ。

誰に請われたわけでもないが何でもいいから文章を書かねばという気持ちはあるものの何を書いたらいいかネタがないんだよな〜というときの強い味方、年末ならではの定番テーマ、「今年買って良かったもの」について記す。

 

HITOE Fold

紙幣、小銭、カードを入れても厚さ1cmほどの薄い二つ折り財布。

最近流行りの「いやそれ何が入るの?」みたいな小さいカバンを持とうとすると、これまで使用していたm+のmillefoglieですら大きすぎると感じ、探して出会ったのがこれである。薄いのでスーツのポケットにだって無理なく入る。もちろんただ薄いだけでなく、ぱかっと開いて紙幣・小銭・カード全てにアクセスできるので使い勝手もとても良い。
カードは公式には6枚収納可能となっており、私は6枚+図書カード1枚を携帯している。

小さな薄い財布 HITOE® FOLD – SYRINX レザーブランド | 身も心も軽やかに

 

Nychair X

折り畳み可能なリラックスチェア。

全面フローリングでソファが無い我が家は常に「リラックスして座る場所がない」という悩みを抱えており、このクリスマスに家計費から購入。夜や休日のリラックスタイムに早くも活躍している。

前々から気になってはいたものの、ラインナップを見ると鮮やかな色が多く、インテリアと馴染まないかな…と思っていたのだが、最近新色のGrayが出たので購入を決めた。

ニーチェアエックス / NychairX 公式サイト

なお、丸の内KITTEにあるGood Design Storeでエポスカードを使って購入すると送料無料で届けてもらえる。更に、購入日はKITTEの日(エポスカードで5%OFF)とエポスポイント10倍キャンペーンが重なる日だったので、ちょっとお得に買えたのだ。

 

MOFT Z

角度を色々買えられるPCスタンド。

素晴らしいのは、畳んだ状態からあっという間に展開できるところと、スタンディングモードを備えているところ。御多分に洩れず在宅勤務の日が増えたにも関わらず、我が家には仕事のためのデスクを置く場所は無いので、日々ダイニングテーブルでの仕事を強いられた。毎朝業務開始時に出してきて、終業後は全部片付けないといけないとなると、セットするのが面倒なPCスタンドは使い物にならない。すぐに使えて、使っていない時は極力軽量で嵩張らない、そういうPCスタンドを探していて見つけたものだ。
時折立って仕事をすると気分転換になるので、スタンディングモードで使っていることも思った以上に多い。

 

 


コンパクトなもの・折り畳めるものが好きなんだなというのが分かったところで、ひとまず今日はここまで。

手仕事の楽しさ

あとほんの、0.1mm。繊細な作業に集中している顔は美しい。

 

先日、絵画修復の体験教室に行った。午前中は座学、午後は体験という構成で6時間。体験では絵画の欠損を埋めたパテを削り、その上に着彩する作業を練習板を使って行ったのだが、これが面白い。剃刀のような道具を右手に、凹凸を浮き上がらせるための小型ライトを左手に、指先で起伏を感じ取りながら少しずつ削っていく。毎日の仕事では全くやらない完全なる手作業、しかもコンマ何mmといった繊細な感覚を必要とするそれは、長らく眠っていた神経回路を使ったようで、終わった後には心地よい疲労感が残った。


自分の手を使って、まさに何か価値のあるものを生み出すという仕事に憧れる。現代社会において、それで身を立てることの困難さを思うと尚更だ。一般に、手よりも頭をメインで使う職業の方が、実態のある物よりも概念を扱う職業の方が、得られる報酬の額が多い。それは別に現代に限らないことだと思うけれど。


さて、日常生活で一番身近な職人は美容師だと思う。一通り切り終わって鏡を見せられ、わたしが「すごいいいですね〜」なんて言っている横で、美容師さんは私の方をじっと見つめ、前から横から、僅かな調整を繰り返す。そのときの真剣な眼差しからは「このお客さんを可愛くしてあげよう!」というようなサービス業的気持ちではなくて、もっと真摯に「自分の作品の完成度を出来うる限り高めたい」という職人的な意気込みを感じる。

ひりつくような雰囲気の中で髪を切られながら「完成間近の作品はこういう気分なんだろうな」と感じるその瞬間は、普段と違う視点で世界を見る面白さがあり、美容院に行く醍醐味の一つであるとすら思うのだった。

中野、シルクロードの果て

ゴールデンウィークウズベキスタンに行く予定だったが、今年は不可能だったのは言うまでもない。
砂塵舞う悠久の大地への思いを諦めきれず、私は中野へ向かった。
ウズベキスタン料理屋の「ヴァタニム」を訪れるためである。


ネットのレビューでは複数の書き手によって

  • うまい
  • 本場の味

と評されていたので、味に関しては何の心配もなかった一方で

  • 量が多い
  • ベーグルくらいかと思ったらホールケーキくらいの大きさのパンが出てきた

というようなコメントも散見され、アラサーの私は一抹の不安を抱えていた。せっかくなら色々な種類の料理を食べたいのに。
この不安を払拭すべく、実家にも声かけしてメンツを揃え、父母妹夫私という充実の5人体制で挑んだ。とても気合を入れていたのだ。


店は中野駅から10分くらい歩いた住宅街と繁華街の狭間のようなところにあり、これもネット情報によれば蕎麦屋の居抜き物件らしかったが、壁飾りなどによって異国情緒溢れる空間になっており、何より地元っぽい(この場合の地元はウズベキスタン)お客さんが多いことが異国感を加速させていた。
客とオーナーはだいたい知り合いなのではないか?というほどのアットホーム感。
それすなわち我々にとってはアウェイ感に他ならないが、だからといって嫌な思いしたとかは無いので安心してもらえればと思う。


さて、今回食べた料理は以下の通り。

  • ノン(パン)
  • アッチクチュチュク(トマトと胡瓜のサラダ)
  • シャクリク(串焼き肉 鶏と牛)
  • プロフ(ピラフ)
  • サモサ(肉詰めパイ)
  • ラグマン(トマトソースのかかった太麺)


特にこれが良かった!と思うのがノンとサモサである。


ノンは要はパンだ。もちもちほかほか。
日の目を見なかった手元のウズベキスタンガイドブックによれば、ノンには地域性があり、こちらのは黒ゴマが散りばめられたタシケント風のもの。
事前情報でホールケーキと言われていたのもこれと思われ、確かに5人で分け合っても十分な大きさ。メニューには小さい版もあったので、1人2人で行く時はそちらを頼んだ方が良さそうだ。

 

サモサはインド料理屋にも同名の料理があることが多いが、インド料理におけるサモサは中身がじゃがいもベースでかつ揚げてあるのに対し、こちらのサモサはひき肉ベースでかつ焼いてある。揚げないのであっさりした仕上がりになっており、みちみちのお肉の美味しさを堪能できるのだ。
なお、インドサモサは小学生の握り拳くらいの大きさなことが多いが、ここのサモサは成人男性の握り拳くらいのサイズ感でやってくるので、そこだけ注意が必要である。


ウズベキスタン料理の店は少なく、この大東京にすら数えるほどしかない。

次は日本橋のアロヒディンに行きたいと思っている。

エントロピーは増大するのか

エントロピー(乱雑さ)は増大する
という自然の摂理がある以上、家が散らかるのは仕方ないというのが、片付け下手な母の理論だ。


エントロピーが高い」とは
=乱雑である
=ランダムである
=偏りが少なく、一様
ということなので、例えば水とお湯をまぜた直後の液体よりも、ぬるま湯の方がエントロピーが高い。


amazon prime readingの恩恵にあずかって読んだ本で最近知ったこの事実は、エントロピーという概念に対してぼんやりと抱いてきた感覚的な印象と違っていたので、少なからず驚いた。
お湯と水、のように様々な要素が同居している方が、感覚的には「乱雑」だと思うのだが、実際はより一様な方が「乱雑さが高い」状態なのだ。


さて、家が散らかる話に戻る。

片付いている家なら、例えば物は決まった棚に収まっている。物のあるところと無いところが分かれている。つまり偏りがあるので、エントロピーは少ない。一方で散らかっている家はあらゆるところに物があり、場所による偏りがない。つまりエントロピーは高い。


「乱雑さ」という訳語を当てられたばかりに、片付け下手の言い訳に使われる憂き目にあったエントロピーという概念には感覚と実態とにズレがあったわけだが、最終的には「エントロピーは増大するから家は散らかる」というのは間違ってないんだな…とわかったという次第である。

 

 

 

物の行く先と来し方

TVの調子が悪い。休止状態から電源を点けようとしたとき、時々画面が映らない。真っ暗なときもあれば、グレーで音声だけ流れるときもあるが、何にしても使えないことに変わりはない。裏側を見れば2007年製とあったので、そろそろ寿命ということか。


折しも春の引越しシーズンである。
夫に最近引越しした知り合いは居ないかと聞いてみたら、心当たりがあるというので連絡を取ってもらったところ、トントン拍子で話が進み、不要になったTVを貰えることになった。新しくやってきたTVは2012年製だったので、まだ5年は使えるだろう。


中古品市場は、メルカリなどの手軽なCtoC売買市場が登場したことで一気に身近なものになった。マスクやホケミ(※ホットケーキミックス)転売の温床となるなど闇市的側面があることは確かだが、それでもある誰かにとっては捨てるしかなかった不要品に、別の誰かに使われる道筋を用意できる仕組みは偉大なものだ。今回のTVのように、身近な知り合い同士で需給とタイミングが一致することはそう多くない。


メルカリの醍醐味は、中古品店の介在無しに物を介して売り手と買い手が直接繋がるところだと思っている。売り手は買い手を選べないので、この人には買ってほしくなかったと感じる買い手が居る一方で、この人に引き取ってもらえて良かったという人にも出会う。

先日、もう活動を休止したとあるブランドの服を売った際「ここの服以外着ないので、買えて良かった」というメッセージを貰った。私も大好きだったブランドの、大切に着てきた服である。手放すことは決めたが、可能なら大事にしてくれる人に渡ってもらいたいと思っていたので、買い手はまさに理想的な人で、もう未練無く安心して手放せた。こういうことがあるのでメルカリは面白い。
(それにしても、もうそのブランドの新規供給が無い以上、なんて難儀な生き方なんだと思う)

 

「メタモルフォーゼの縁側」という漫画があって、それは女子高生とおばあちゃまが共通の趣味をきっかけに友情を築いていく話なのだが、その中に女子高生が(明言はされないが、おそらくメルカリなどのフリマアプリで)中古の漫画執筆セットを買うシーンが出てくる。
セットの中には「古いものですけど、使えると思うので…使ってもらえれば嬉しいです」というようなメッセージが同封されていて、女子高生はこれで漫画を書き、ほんの少し新しい世界へと歩み出す。

漫画を書く原動力はもちろん別のところにあるにしろ、インターネットの向こう、顔も知らない、だが確かに存在する一個人である売り手からのちょっとしたメッセージにも、背中を押された気分になったことだろう。


なお、お役御免になった我が家のTVは、家にそもそもTVが無いから要らないならくれと言っていた私の同期社員に引き取られていき、それなりに使われているようだ。需要と供給は思いがけず近くにもあった。

住めば都とはこのことか

ツイッターで募集のあったエッセイ集に寄稿した。
自分が住んで暮らした街について書くというものだ。

 

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東京に長らく住んできたのでそれなりに知っていることがある一方で、地名すら知らない街もごまんとある。
今回は9人が原稿を書いているが、その中にも知らない駅があった。
私鉄は普段乗る人以外は本当に知らない駅があるよな…などと思っていたところで、
自分が書いた駅も「普段乗る人以外は知らない私鉄の駅」であることに気づいた。
自分にとってはホームタウンでも、ほかの大勢の人にとってはマイナー駅の一つでしかない。
そういう駅(および街)を紹介しようという企画である。

 

note.com

 

笹塚、いいところなのでぜひ住んでみてほしいです。

玄米七号食ライフログ

3月末から在宅勤務になってランチも会食も飲み会も無くなったので、これを好機とばかりに七号食ダイエットを行った。
10日間玄米だけ食べるというダイエットというか、デトックス手法である。
その結果と、所感を記す。


まずは結果からいうと

  1. 10日目には初日-2.4kgまで落ちた
  2. ちょっと気を抜いたら3日で2kg戻った
  3. 食事に対する意識に変化があったことは評価できる

であった。


1 玄米食期間について

10日間玄米(ごま塩は振ってよい)しか食べない、その代わり玄米はいくらでも食べて良いというのが七号食の単純明快なルールである。
毎日1.5合〜2合くらい食べていたが、それでも食事の絶対量が減っているわけだし、お通じも良かったので体重はすいすい落ちていった。ダイエットにおいて、これほどモチベーションになることもそうそうない。
そのため、玄米しか食べないことによる飽きは思ったほどはなかったが、それでも5日を過ぎる頃には多少は目先の違うものが欲しくなってくるので、おにぎりにして日向で食べてみたり、ほうじ茶でお茶漬けにしたり、レンチンして煎餅化したりと試して乗り切った。
飲み物はカフェインが含まれていないものならOKなので、成城石井でルイボスチャイと甜茶ハーブティー5種セットを買い、ぐるぐる飲んでいた。ハーブティーは普段あまり飲まないのだが、この薬草っぽい味がいかにも「身体に良い感」がして面白いな…と思っていた。

 

2 たのしいリバウンドについて

10日間玄米だけで過ごしたあとは、まずお味噌汁だけ付ける、次の日は味噌汁を具入りに、その次の日は野菜のおかずも可…と少しずつ娑婆の食事に戻していく期間がある。自分に甘いので全体に1日前倒しくらいで食物を解禁していき、快調に体重が戻った。貯金には時間がかかるのに、浪費は一瞬で出来ることに似ている。不愉快極まりない話である。
先にも述べたように、七号食期間は純粋に食べる量が減るので当然体重が落ちる一方、元の食事に戻せばそれなりに戻ってしまうのだ。
じゃあ何の意味も無かったのかというと、そうでも無いと思っている。

 

3 学びについて

まず、よく噛んで食べるようになった。
お前は小学生か?という感じだが、玄米しかないので玄米をひたすら味わって食べていた10日間があったことで、普段いかに噛まずにするする食べているかを思い知った。スナック菓子なんて数えてみたら3回くらいしか噛んでおらず、飲んでいるも同然であった。今は普通の食事でも、30回は噛むようにしている。

食べるのがゆっくりになり、量が減った。
噛む回数が増えるので、自然と速度が落ちる。よく言われることだが、満腹中枢とやらに「食べてるよ」という刺激がいくのは食べ始めてから15分後という。のんびり食べていると15分くらいはすぐ過ぎていき、その頃にはそんなに量が無くとも「食べたな」という気分になってくる。

脂質に敏感になった。
食品成分表によれば、玄米ごはん100gあたりの脂質は1gしかないらしい。その一方、私が大好きなクリームチーズやポテトチップスは100gあたり30g超えである。脂質に対する許容量が下がったのか、オンライン飲み会をしながらポテチを食べていたら、あっという間に胃もたれした挙句吐き気に見舞われたのには自分が驚いた。あんまり食べない方が良さそうだな…と身に染みて分かったという感じである。

 

 

極端な食生活というのは続けられるものではない以上、結局のところ日々の食事と運動に気をつける以外に、有効なダイエットは無いことはもうとっくに分かっている。七号食はデトックス手法というだけあって、体重が落ちそれが維持されるというダイエット効果よりも、食生活の見直しのきっかけになるという効果の方があったように思い、それは王道のダイエット成功への確かな道筋でもある。これからもがんばります。決してリバウンドしたことの負け惜しみではない。