いけずのいけす

すっきり整った暮らしを夢想するアラサーゆるゆるオフィスレディです。

非日常のためのものもの

年末年始に実家に帰ると、年が明けた元日の朝にはお正月料理が出てくる。

美味しいのか判断に迷う縁起物が色々入ったおせち…ではなくて、椀物を主役に副菜がいくつか、といった構成で、今年の献立は、お雑煮、黒豆、栗きんとん、海老あんかけ、大根とサーモンのなます、それと日本酒。お雑煮は美しい塗りのお椀に、ほかの副菜たちもそれぞれ小さなお皿に少しずつ盛られ、それらが行儀良く折敷の上に並ぶさまは、ハレの日に相応しい華やかさがあり、新年の清々しさに満ちている。

これが自分の家だとどうだろう、と思った。食器のレパートリーはお世辞にも多くない。お雑煮は普段通り木の汁椀に入り、副菜はちょうどいい小皿が足りないので、いくつかまとめて1皿に盛ることになるだろう。おちょこも無いため、日本酒はDURALEXのピカルディで飲む。折敷が無いのは言うまでもないので、全てテーブルに直置きだ。

お祝いの気持ちさえあればそれで十分、という見方がある一方で、やはり特別な器は気分を高揚させるし、ワンプレート和食は味気ない。オールマイティ至上主義から少し目線を変えて、綺麗な小鉢でもひとつふたつ買ってみようかと思ったお正月だった。

1月のどこかの水曜日、首都圏で4年ぶりにまとまった雪が降った日の帰り道、住宅街の小道を歩いていると家の前の雪かきをしている人が居て、その人が使っていた道具がちゃんと雪かき用のスコップだったときにも、いたく感心したものだ。数年に一度出番があるかも分からない物がきちんと所持されていて、然るべきタイミングで使われていることに。

「この一年を振り返って一度も使っていない物?今後もまず使いません。捨てましょう!」

というのが片付けのセオリーだし、今後もその思想を変えるつもりはないが、それによって失われる生活のあや、非日常のためのささやかな豊かさも、確かにあるのだ。