いけずのいけす

すっきり整った暮らしを夢想するアラサーゆるゆるオフィスレディです。

防弾ジレが流行る日は来るか

近所のスーパーの前を通りかかると、駐車場誘導員のおじいさんたちが談笑していた。曰く「防弾チョッキを着ていけば大丈夫」らしい。なかなか日常生きていて使わないフレーズに、誘導員の仕事の苛烈さを思った。実際、何の話をしていたんだ?

続けて思ったのは、チョッキという言葉はほぼ絶滅したと感じるのに、防弾といえばチョッキだということだ。防弾ベストとか、防弾ジレとはなかなか言わない。その語、もしくはその物自体はすっかり廃れたけれど、日常使われる特定の連語の中には生き残っている言葉というのは、探せば他にもあるのだろう。下駄箱や筆箱もその一種だと言えそうだ。最早下駄を履いている人はほぼ居ないので、本当なら「靴箱」と呼ぶのが正しいが、「下駄箱」という連語になったことで、実態とは異なっていても「下駄」なる言葉は使われ続ける。

言葉は生き物であり日々移り変わっているが、一方で一度広まった言葉は、その語の原義と現実で指すものに乖離が生じていたとしても、なかなか別の語に置き換わらない。矛盾を解消するためにより正確に言えば、言葉のなかでも目に見えない「意味」は流動的だが、視覚化される「表記」は固定性がある、ということになるだろう。

スマートフォンで写真を撮って送る」ことを指して「写メ送る」と言ってしまうのもそれだ。送るのに使っているサービスはもちろん写メールじゃないし、それどころかメールですらない(大抵LINEだ)。それでも、上述の「写メ」と同じ内容を指していて、写メに代わる単語を私は持たないので、違うんだよなあと思いつつ使い続けている。

今の中学生や高校生に聞けば、あっさりと違う語が返ってくるのかもしれない。仮にそれが存在したとして、全く自分の耳に入ってきていないあたりに、いかに中高生が遠い存在になったかを感じるのだった。