いけずのいけす

すっきり整った暮らしを夢想するアラサーゆるゆるオフィスレディです。

日傘の立ち位置の変遷

女性の日傘姿が目立つ季節になった。


街ゆく人を眺めていると、上からの日差しと下からの照り返しに挟まれていかにも辛そうにしている男性に対して、女性の多くは日傘を差していて涼し気であり、どこか優雅ですらある。

女性ばかりが傘を差しているという状況は風変りだが、思えばかつてもそのような時代があった。欧州における大衆社会の直前、貴族文化が最後の足掻きと煌めきを見せた頃、19世紀の終わりから20世紀の頭くらいだ。貴族の女性はもちろんのこと、豊かになった中産階級の女性たちも上流を真似て日傘を使った時代、街はこんな様子だったのだろうかと思うと時代が戻ったようで面白い。


ただし大きく異なっているのが、かつての日傘は多分に装飾的な意味合いが強かったのに対し、現代日本においては実用のためのものであるという点だ。


あまり正確な知識でないことは断っておかねばなるまいが、往時の上流から中流女性にとっての日傘は、強い日差しを避けるものであると同時に、ドレスや帽子との調和を重視したファッションアイテムであり、自らの可憐さを引き立てるための小道具であり、荷物を持つ必要がない身分であることを表す階級章でもあった。時にはステッキの代わりになったかもしれない。そもそも避けるべき『強い日差し』というのも、緯度の高い欧州のこと、程度は知れていただろう。


一方現代日本では、日傘の役割は純粋に『強い日差しを遮ること』だ。その理由には、日焼けしたくないからというような美容事情ももちろんだが、こと近年のような酷暑では強烈な日差しに長時間曝されることは最早命取りだという実情がある。日傘があれば、頭が直接日差しを受けないので体温の上昇が抑えられるし、体感気温も下がるので、うだるような暑さの中でも何とか歩みを進める気になるというわけ。装飾の一部というような可愛らしい役割は失われ、雨を避けるために雨傘を差すのと同じくらい、実用面がクローズアップされているのが現代の日傘である。


思えば人類文化史において、かつては実用的な意味(物を長持ちさせたり、汚れを目立ちにくくさせたり)があったが、時と共にその意味が失われ、今は専ら装飾的な要素として残っているものは数多ある。例えば刺し子などは、布が貴重だった時代に少しでも布を長持ちさせるための工夫だったが、今は装飾としての素朴な美しさが評価されている。装飾とは豊かさの証であり、曲がりなりにも人類はかつてよりずっと豊かになっているので、実用から装飾へという大きな流れが明確に存在する。

そんな中、装飾から実用に転じた日傘というのはかなりイレギュラーな存在だ。


珍しい、ということはライバルが少ないということで、そこには商業的なチャンスがあるはずだ。折りしも今年は『男の日傘』と銘打ったコーナーが百貨店に設けられ、日傘を差す男性を時たま見かけるようになり、日傘市場がじわりと広がっているのを感じる。同じようなアイテムが無いものか、一攫千金目指して探す日々である。