いけずのいけす

すっきり整った暮らしを夢想するアラサーゆるゆるオフィスレディです。

Beauty rests on utility.

美は有用性に宿る。

かつてアメリカで大きなコミュニティを築いたシェーカー教徒の金言として知られる言葉である。

雨に降り込められた土曜日は、これを体現するような美しい建物と家具の数々を眺めて過ごした。読んでいたのは『シェーカー生活と仕事のデザイン』という本。静謐な写真と少しの文章からなる写真集に近いもので、どうやら絶版らしくAmazonでは18000円。こういう本が蔵書にあるのだから、市営の図書館は素晴らしい。


「シェーカー家具」で検索してもらえれば分かる通り、シェーカーの家具や内装、建物はとてもシンプルだ。今でこそ「シンプルモダン」「ベーシック」とカテゴライズされるような無印用品的なインテリアもポピュラーなものとして受け入れられているため、「あらスッキリしてていいわね」で済むだろうが、当時の人々にとっては衝撃的だったに違いない。

シェーカー教徒の数が最も多く文化的な成熟を見せたのは19世紀初〜中頃だが、同時代のイギリス(シェーカーはクエーカーの一派であり、そのルーツはイギリスだ)のリージェンシー様式やヴィクトリア様式と比べれば、その際立った特異性がよく分かる。


この時期のイギリスの家具がなんだか過剰に重厚でごてごてしているのは、勃興する新興貴族層・中流階級層が伝統的な支配層である貴族『らしさ』を手っ取り早く取り入れたがったことと、工業化で色々なものが機械で作れるようになってきて、それまで経済的な理由で制約を受けていた『装飾』一般が一気に身近なものとなったからだろう。

そんなアツい装飾熱が吹き荒れていた時代なので、シェーカー共同体を訪れた人が「絶望的に簡素」という感想を漏らしたというのも無理はない。


しかしながら、シェーカー家具の「美しさ」はパッと目を惹く装飾性にではなく、余計なものを削ぎ落としながら必要十分な機能を備えた純粋性、細部にまで行き届いた配慮がなされた道具としての完全性にある。

例えば、椅子。

全体に細身のデザインはもうそれだけで十分美しいのだが、なんとこの椅子の後ろ足にはボールベアリングが内蔵されている(Shaker tilting chair - Wikipedia)。椅子を後ろに大きく傾けたときでも、常に床と脚が面で接するようにするためだ。これがあることで、椅子を傾けても滑りにくいうえ、床へのダメージも抑えられる(それにしてもこんな機構をわざわざ付けるなんて、学校で怒られがちな後ろ足だけでバランスをとる座り方を、シェーカーも好んだのだろうか?)。椅子本体の軽さは、材料の節約と床掃除のし易さに貢献する。

流体の表面積を最小にしようとした結果が完全な球体に落ち着くように、どこまでも効率を突き詰めた結果として落ち着いた形には無駄のない美しさが宿っている。


本は92年の発売でその時点でシェーカーは10人を切っているとの記述だったので、もはや彼らは世界のどこにも居ないのかもしれない。シェーカーの宗教観全体は普遍性を持ち得なかった(実際、独身主義や財産の共有、職業の制限など、強固な信仰がなければ受け入れられなそうな決まりも多い)わけだが、その根幹をなす思想は今もなお健在だ。

即ち、美は有用性に宿る。