いけずのいけす

すっきり整った暮らしを夢想するアラサーゆるゆるオフィスレディです。

貰い物、この麗しき邪魔物

厳選した、お気に入りの物だけで暮らしていくということを実践するにあたり、悩み深いのが貰い物というやつだ。

具体的に言えば、最近引き出物で立て続けに貰ったタオルである。3箱あるが、いずれもフェイスタオル×2枚セット。どうせならバスタオルの方が良かったな…などと図々しいことを思うのだが、何を隠そう私自身結婚式で友人(♂)への引き出物にはフェイスタオル2枚組をチョイスしているし、そのときバスタオル×1ではなくフェイスタオル×2を選んだのは純粋にその方が安かったからなので、何も言う資格がない。

 

私は贈り物というのはあくまで、贈り手が「自分の意思のみで」「自分勝手に」あげるものだと考えている。勝手にやる以上、相手たる受け取り手に何か期待するのは筋違いだ。贈り手にとって贈り物とは「贈ること」それ自体が目的で、贈った時点でもう行為の目的は100%達成されている。

だから、受け取り手はその贈り物をどう扱おうが完全に自由であり、例えばそれをやむなく処分したところで、贈り手に対し何ら後ろめたさを感じる必要はない。何度も言うが、受け取り手が受け取った時点で、もう目的は達成済みだからだ。そこからは、「贈り物と受け取り手」という関係性ではなくて、単なる「私物と所有者」になるので、自らの自由意志のみでその物と向き合えばそれでよい。

逆に言えば、贈り物が丁重に扱われなければ嫌だとか、礼を言ってこないなんてけしからんという人間は、贈り物をするという行為に向いていないので止めたほうがいいと思う。

そういう風に考えると、物を貰ったときはもちろん、物をあげるときも気楽である。無論、状況や相手にもよるだろうが、基本的には私が自分の趣味で勝手にあげているだけだから、どうぞ好きに扱ってねという気持ちでいた方が、自分も贈った物にとらわれないで済む。

 

さて、冒頭の件。これまでぐたぐだ書いてきた理論に基づき、即座にバザーに出すことも考えた。しかし結局は、これまで使っていたタオルのうちから、ややくたびれていた2枚を縫い合わせてバスマットを作り、代わりに新しいタオルを迎え入れることにした。

タオルはなかなか捨て時が分からない物の一つなので、意外といい機会だったのかもしれない。