いけずのいけす

すっきり整った暮らしを夢想するアラサーゆるゆるオフィスレディです。

高邁な理想

民間英語試験導入の是非が話題だ。

個人的には導入には全くもって賛成出来ないのだが、それはさておき導入延期になった理由としてよく取り上げられているのが「地域格差」と「経済的負担」である。なるほどそれも大いなる課題ではあるものの、一番の問題は「導入しても当初の目的が達成できるわけではないこと」だと思っている。


英語の運用能力を読む・聞く・書く・話すという4技能からなると考えた時に、これまでの教育は「読む・聞く」に偏重していたが、実際に英語を使うとなれば「書く・話す」という能力も必須である。そこで、これらの4技能が高校卒業時点で適切に身についているか確かめる、これが目的だろう。これ自体には特に反対する点はない。

では、それは民間試験を導入すれば適切に判定できるものなのだろうか?

 

インプット型の「読む・聞く」という能力に対して、「書く・話す」はアウトプット型の能力だ。当然ながら表現の内容も技法も一通りではないだろうから、ハナから採点の難易度は高いし、公平性の確保も難しい。それでも、既存の民間試験はそこに何らかの基準を設けて採点しているわけだが、それで判定できる「書く・話す」能力は“試験の求めるところと対応した”非常に限られた範囲のものに限定されるだろう。(民間試験がそれでも構わないのは、それがあくまでも民間の試験であって、どこを採点基準とするかは究極的には全くその事業者の自由だからだ。)民間試験を導入しても「書く・話す」能力を公平かつ的確に判定するのは非常に困難なのである。


「どんなに愚かな政策であっても、始められた目的は崇高であった」というフレーズがある。
(このフレーズ、どこで読んだのか分からないんだよなと思ったまま数年が過ぎてしまった)

本件もまさしく、当初の目的は大変立派なものだが、出来上がった政策はそれを叶えるものとなっているとは到底思えない。政策を実行する段で生じる諸問題に関して論ずる前に、政策の意義とその効果のほどについて熟慮する必要がある。

 

 

高邁(こう-まい)気高く優れていること。
最近知った語としては、これのほかに合綴(がっ-てつ)がある。世の中知らない単語だらけ。